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平成22年2月12日 恩師の言葉

私が歯科医師となっていく間に、心に残る言葉がいくつもあります。今回はそれらを思い出して書いています。

1.医(い)は衣(い)なり

学生時代の保存修復学(むし虫のつめもの)の教授の言葉である。
「医は衣なり・・・。医は衣なりと申しますか・・・。」
人間はわかる時が来るまでは何度言われてもわかるものではないということを痛感させられる言葉の一つである。私も学生時代は「また、いなりかよ。稲荷寿司じゃあるまいし・・・。」と思っていた。後年入局した医局の教授も同じ考えだったようで、ジーパンやノーネクタイ、スニーカーなどを見つけたら大変だった。自分が患者だったら医者らしい安心できる人に診察してもらいたいということに考えが及ばない自意識過剰の医者(や学生)がなんと多いことか。
モヒカンで鼻ピアスのドクターに脈をとられたら高血圧と指摘される患者はふえてしまうだろう。

2.破壊者や墓(はか)医者になるな

同じく学生時代のエンド(根管治療)の教授の言葉である。
「諸君はハカイシャになるな。シカイシになりなさい。」と言って、破壊者、墓医者、歯科医者、歯科医師などの単語を黒板に並べた。
「思うに開業医の先生方の根管治療は80%が失敗症例だと思われます。
私の生涯治療成績は、再治療や難症例が多いことを考慮しても85%以上が成功しているでしょう。」
スライドで見た「ラバーダム防湿法」には驚いた。「たかが歯の治療でまるで手術のようだ。大げさではないか?」
これが大学3年生のときの率直な感想で、一般の方々と変わらない。今は・・・・・・ご体験あれ。

3.あの人はかわいそうなんだ

私が入局した講座の教授の言葉である。彼は学術方面以外でも多才であったため診療室に出られる時間は滅多になかった。
本来新卒から2年目が担当であった診療助手に研修医を修了した私が立候補し、当然のように(??)そのチームのリーダーとなった。
研修医のときに教授診療チームの改善策を考え、それを実行したのである。けれども自分達に可能な人数を予約しても教授は自分が出るつもりで予約表に追加してしまう。若手4.5人のチームではとても予定通りに進まなくなってしまうのが常であった。
そこで、早朝に病院に行ってカルテをチェック。勧進帳のごとくその日の治療計画を立て、教授秘書が教授をつかまえるやいなや教授室でそれを読み上げた。OKなら「よろしく。」で終わり。手順が違う場合はそれを指示してもらった。
それから外来に戻り、外来衛生士の了解の上で30分前からスタートし、空いている治療ユニットはすべて借りて教授チームの診療をすすめていった。予定通りに(?)治療は遅れていく。頃合いを見ながら若手を一人づつ昼食に行かせ、決まりより数時間遅れて治療を終了する日常だった。

多くのスタッフは現状を肯定してくれて、後かたずけさえきちんとやればペナルティはなかった。
17時から18時頃に教授は戻ってくることが多く、「佐藤、昼飯まだだろう?僕もまだだからいっしょに行こう。」ということになる。
薄給の私ではとても入れない「グリルセインツ」で教授チームの症例検討会が行われた。彼は多忙であっても、難しい治療の方をちゃんと把握していた。唇類口蓋裂や口腔腫瘍切術後、顔面領域の外傷の方などである。
「あの人はかわいそうなんだ・・・。」で始まるその患者さんの過去の闘病歴。胸が熱くなり、「なんとか力になりたい」そう思わずにはいられなかった。その後私は図書館や技工室に戻り、セブン・イレブン(7時に出て、23時すぎに終電で帰宅)の日々は続いた。難しい治療で費用がかさみそうなときには、教授は研究費の申請用紙を出してくれた。声には出さなくても「治療費は気にせず、ベストをつくせ!」と聞こえた。「佐藤はもう何でもできるから、もう僕が出なくてもいいだろう?」とか「若い(モデルやタレントの)お嬢さんだからおじさんより佐藤の方がいいだろう?難しかったら手伝うから。」

後からわかったことだが、私が型取りをした印象や設計した模型はすべて技工士(もちろんそれも全員教官クラス)から、教授の手許に運ばれ、作って良いかどうかの指示をあおいでいたのだ!!それらを見ての言葉だった。
私にとって最高の上司だった。「僕の代わりに身内の治療をやってくれよ。」・・彼の出身が南雪谷だったため、私はこの地で開業することとなったのである。

4.日本一の歯科医師になれ!

私の心の師匠の言葉である。彼は40過ぎの若さで佐藤・三木両首相の主治医であったという。
私が5年生の頃医科歯科大学の非常勤講師として、医療訴訟の講義をしてくれた。講義最後の言葉にしびれて彼の治療を見学したいとボスに直訴したところ、ボスは彼に直接電話をしてくれた。そのおかげで週に1日、彼の診療の助手をさせてもらえることになった。65才の彼は1人1時間、1日7人、週5日きっちりと診療していた。予約表には武見太郎の再来を思わせるような有名な患者さん達。ただし、やっている治療は医科歯科大学で研修医に教えるようなもので、けっして特殊な機械や手術を伴うものではなかった。
それを一切手抜きせず(なんという精神力!)時間内で確実にクリアしていった。一番意外だったのは、患者さんをリラックスさせるために会話を重視していたこと。
「患者さんがイスの上で遊び始めるまでは歯科医は手を出してはいけない。」という言葉通りであった。
患者さんを一人終えるとせまい院長室に戻って一服。そのときに心に残る話をしてくれた。減菌して加圧根充をしたときは「びっくりしてたな。後輩の砂田(根管治療の教授)に習ったんだ。今はこうやる方が成績がいいらしいからな。あんたたちは1時間じゃ終いまでできないだろう?」(いくつになっても勉強とは本当にすごい。)
昔の首相の家族が帰ると「総理がいらっしゃると(交通規制で)近所の人が迷惑するので私の方がうかがってもよろしいですか?」と言ったんだよ。
そしたら本当に行ってもいいことになったんだ。任期も終わり頃にはとてもお疲れでね。
帰りに「靴がきつい、きつい」と言うからよく見たらズボンがはさまっているのにも気づかない程だったんだよ
(歴史小説に出てきそうな話ですね。すごい!)
ドクターショッピングをしている患者が帰ると「儲けるだけが歯医者じゃねえだろう?
誰かが面倒見てやんなきゃいけない。」(あちこちの教授を渡り歩いているこの人は後年私のところにもきましたよ。)
超高級料亭の主人が帰ると
「さすがだな、金額言っても顔色一つ変えやしない。もっとふっかけてやりゃいいんだろうが俺にはできねえからな。」
(おっしゃる通りです。たいした実績がなくても銀座というだけで先生の倍以上の歯医者がゴロゴロいますよ。)
「武見さんは本心からインフォームドコンセントって思ってたわけじゃねえな。最初に来たとき、ポンと封筒を置いて『300万入っています。足りなくなったら言って下さい。』治療を説明しようとすると『お任せします。』と目を閉じちまう。医局旅行の話を聞きつけると『おこずかいです。』と大金を置いてっちまう。口数少ない古風な人だったね。」
(武見太郎さんは世界医師会会長という立場だったからインフォームドコンセント宣言を採択しただけだったんですね。)
またあるときは「別にやってることがすごいわけじゃない。見ててわかるだろう?でも、こうなるまでが大変なんだ。そこをよっく見てろ!」(天才とは努力し続ける才能:羽生善治とは先生のことですよ。)
最後の講義での彼の話とはこうです。
「あんたたちだって日本一の歯医者になれる。『この先生は若くて腕はまだまだなんだけど私の為に一生懸命治療をやっている姿は日本一だ』患者さんにそう思われる歯科医師に明日からなって下さい。私の言ってることが本当か確かめたかったらいつでも見にいらっしゃい。」

平成21年7月30日 マイクロスコープ(外科用実体顕微鏡)が欲しい

 今年のGW明けの土、日に数年来の希望であった「マイクロエンド2日間実習コース」を受講しました。
講師は歯内療法専門医(歯の神経を取った所にばい菌が入らないようにする治療)で高名な澤田則宏先生。彼の講義はわかりやすいと好評で、半年以上前に予約をしないと席がとれない程です。
費用が実習費126,000円、材料費が10,500円と高額なことと、かなり先の予定を見込まなければならないことが重なり、受講が遅くなってしまいました。
マイクロスコープを所持している歯科医院は、澤田先生の話によるとまだ1%程とのこと。インプラントなどのどこでもやっている治療と違い、向学心がそそられます。さらに、昭和大学総合歯科所属の青山先生(当院では土曜日午後の診療)が「最近は、マイクロスコープを使って治療してくれる歯科医院を紹介して欲しい、という患者さんが多い。」と言っていたのも後押しになりました。

 さて、実際にマイクロスコープを使って抜いた歯の中をのぞいておどろきました。
「こんなによく見えるものか、というより見えてしまうものなのか・・・。」
見えさえすれば、医師(歯科医師も含む)という人種はとことん悪い部分を除去することに情熱を燃やすことが多いものです。(良医以上に限られるかもしれませんが・・・)
講習会以来、寝てもさめてもマイクロが欲しい、マイクロが欲しい、マイクロが欲しい・・・。
マイクロスコープで口の中を診察し、それをDVD等に録画して皆様にお見せする。一目りょうぜん、わかる方には説明はもはや必要ありませんよね。

  ただ一つ気がかりなのは、これが過剰診療だと思われる方がどのくらいいらっしゃるかということ。私の意見はもちろんNO!で、レントゲンのデジタル化やCTなどのように被ばくによるデメリットや一部の高額治療者のみのものではないと考えております。
ましてや、レセプトオンライン化のように、患者さん、医師のどちらにもメリットのないことのために投資が義務化されようとしていることとは天と地の開きがあるように考えています。

  話はかわりますが、前述の澤田則宏先生は東京医科歯科大学の同級生で、「佐藤A、佐藤B、澤田」で実習をやっていた仲です。同級生で出世している先生が多いのでとても勇気づけられますが、彼らの共通点は学生時代の成績があまり良くないこと!(もちろん澤田先生も)その点は私も同様なので、それをはげみに(?)これからも頑張りますので皆様よろしくお願いします。

平成21年5月6日 父の思い出

皆様、ご無沙汰しておりました。

3月23日に父が亡くなりました。
本来、私の披露宴の席上で話すつもりであった父の想い出。残念ながら伝えることができなった話を今日ここで披露します。私達3兄弟が小さかった頃、父は休日になると3人を自転車に乗せて近くの「西友」や「イトーヨーカドー」に連れて行ってくれました。予算は一人100円までで、好きな物を選ぶのが休日の一番の楽しみ。そんなある日、確か小学2年生の秋、理科の授業で見た秋植えの球根が「上の原団地の西友」の園芸場にありました。チューリップでも水仙でもなく、「ヒヤシンス」の球根に目が釘付け。大きな紫色の球根が一個だけ凛と存在していました。
値段は250円か300円。予算オーバーを承知の上でどうしても欲しくて、めずらしく父にねだったのです。父は「(西武)デパートに行けば、もっとあるからそっちで買ってあげる。」と言いました。成長した今では、もっともの判断だとわかります。

しかし当時は・・・もし、デパートに売っていなかったら?ここに戻ってきたときに売れてしまっていたら?そのとき私は後ろ髪を引かれる思いで「西友」を後にしました。帰宅後、何度も父に尋ねました。「まだデパートに行かないの?」どんどん時が過ぎていきます。当時のデパートは5時の閉店だったかと思います。
3時頃になると、私は泣き出しそうになりました。「まだ行かないの?もう終わっちゃうよ?」出掛ける前に父はきまって髪を梳かすのです。
ヘアトニックの香りが出発間近であることを私に伝えてくれました。池袋まではおよそ45分。売店で選ぶことを考えると一時間前がタイムリミットだと7才の私にもわかっています。出発は3時半を過ぎていたようです。秋の夕暮れがせまっている中、父は私一人だけを連れて、東久留米の駅に向かいました。当時、園芸売場は地下一階と九階の屋上にありました。時間の関係からか急いで地下一階に向かいました。
あった!紫、ピンク、白、ブルー、赤紫・・・5、6色の球根が、いずれも10個以上。父は3個入る水栽培のケースと球根を買ってくれるというのです。1個のつもりが3個?興奮しました。(何色にしよう?どれが大きいかな・・・)3個の球根を選び終えると、父は言いました。「(横にある)クロッカスの球根の水栽培セットも買っていこうか?」「も、もういいよ。」おそらく生まれて初めて私は遠慮しました。涙が出そうだったのです。

その時の気持ちは、後年読んだ2つの小説の中にありました。
「坂の上の雲」(司馬遼太郎)「走れメロス」(太宰治)。決戦を前にして主力艦二隻を同時に失ってしまったときに、沈没艦の艦長2人をねぎらう東郷司令長官。抱擁前に殴りあったメロスとセリヌンティウス。大切な人の言葉を疑ってしまった私。そんな小さくていたらぬ私を認めてくれる父。この人にふさわしい人間になりたい。ずっと心のどこかでそう考えていたように思います。
後年、歯科医師となった私。患者の皆さんから無理難題(単なるワガママ?)をいただく毎日です。「無茶なこと言うよな。100回考えても無理だと思ったら断ろう。」帰りの電車でそう考えながら帰るものの、お断りしたことはほとんどないハズです(よね?)そんなとき父の「期待を超えた思いやり」が、私のどこかに根付いているような気がします。特に総入れ歯の方が来院されると一番ワクワクします。総入れ歯の修理は、他の治療と違って私一人が頑張りさえすれば(費用や他の材料を選ばなければならない治療と違って)いくらでも質を向上させられるからなのです。

山口県からいらした方の総入れ歯を3時間かけて直したこともありました。その間の予約の患者さんを他の先生に診察してもらいながら。人様への親孝行とでも言いましょうか。もう、父の入れ歯を直すことはできないのですから・・・。

披露宴での話は母の想い出についても、もちろん用意してあります。でもこれはまだ秘密。アラフォーを超えてしまったとはいえ、まだ結婚しないと誓ったつもりはありませんから。

平成20年12月3日 チャンス到来

サブプライムローン問題に端を発した今回の世界同時不況。欧米の投資銀行、証券会社の相次ぐ消滅や合併吸収。日本の不動産会社も次はどこかと言われる日々。経済指標(指数)も悪化を続けている。アメリカビッグスリーはおろか、天下のトヨタまでもが減収減益。銀座にならぶ高級ブランドさえもが円高差益還元を名目に次々と値下げ。
右を向いても左を向いても、真暗やみじゃござんせんか。

こんなときは極力お金を使わないに限ります。

・外食なんてもってのほか、ミシュランガイドなんか必要ありませんよね。(もう皆さんはあちこち体験済)
・海外旅行もお預け。(あちこち旅行して、もう行く国がないんじゃありませんか?)
・高級ブランドも買いません。(もうすでに十分お待ちでしょう?)
・そして、もちろん医療費も節約、節約。

あれ?ちょっと待って下さい。
こんな不況、不遇のときは動き回ったりしたら自滅しますから、時間だけはあるハズです。今までのやり方であがくかわりに、次にそなえて勉強するのが落とし穴にはまらないコツだそうです。

それともう一つ。体のコンディションを回復しましょう。
自分が腐ってはおしまいです。徹底的に整備するのです。もちろん、歯医者にも行きましょう。ハイオクを給油した車でも、エンジンに点火しなければ動きませんよね。どんなに栄養十分な食事をとっても、消化できなければ無駄になってしまいます。

口の中に何でもかみくだける『名刀』を入れて次のチャンスにそなえましょう。
夜明け前が一番暗いと言われています。真暗ならば、ロウソク一本、ライター一つでも明るく感じるでしょう。心に一燈をともし、体調を万全にして「いざ鎌倉!」次のスタートダッシュには「飛びだせ青春!」(ちょっと古いですね…)
 

サミュエル・ウルマンIII世

平成20年8月26日 継続は力なり

・歯を磨くと歯が抜ける?

18年程前の話になります。80才台前半の社長さんが来院しておられました。下の入れ歯をお作りして治療を終了しました。およそ2年後、下に残った1本の歯がグラグラになって再度来院。今回は上の歯もきれいにしたいとのことでした。治療が終了し、歯のお手入れの話をしたところ、「歯を磨くと歯が抜けますから、私は磨きません。」とのお答えが返ってきました。また2年ぐらいで修理になってしまっては申し訳ない。
さりとて「(60才台の)息子のような尻の青い者に社長は譲れません。」とおっしゃる方に孫のような私では説得は無理。
そこで、「毎月おこしいただいて、私がお手入れさせていただくのではいかがでしょうか?」と申し上げたところ、「そら、けっこうですな。よろしくお願いします。」
以降、毎月クリーニングに来院され、13年程の間、抜けた歯は1本もありませんでした。

・70才のクラス会

毎月クリーニングに来院していただいているご婦人の話です。先日、久しぶりに女学校時代のクラス会がありましたの。そこで、私初めて話題の中心になることができました。女学生の頃は、容姿でも学業でも目立つ存在ではありませんでした。普通に結婚して子供や孫にも恵まれましたが、取り立てて話題にのぼるほどでもありませんでした。
それが今回、お食事の際何げなくおしんこをポリポリ食べておりましたら、隣の方が「あなた、おしんこ食べて大丈夫なの?」と声をかけてこられました。お話をしておりましたら、入れ歯の調子が悪くて食べられないとのことでした。「皆様、こちらにいらして!この方ご自分の歯なんですって。」他の方々はみなさん入れ歯をお使いで、私一人だけが入れ歯ではありませんでした。
先生のおかげで、私初めて面目をほどこすことができました。ありがとうございます。

平成20年6月16日 医療体験

GW中に右下の奥歯がうずいた。埋まっていたハズの親知らず?それとも歯科医にあるまじき歯周病?
翌週パントモ撮影と口腔外科出身の田代先生の診察を受けた。7┓の遠心歯肉縁下に8┓を触れるとのこと、消炎後の抜歯を依頼すると「私の後輩の斉藤先生が荏原病院の口腔外科の医長をしていますから、彼に紹介状を書きますよ。深くて難抜歯ですから、設備がそろっている所がいいですよ。静脈内鎮静法(IV-S)も体験してはいかがですか?」。

私が医科歯科大学の障害者歯科に在籍中、多くの恐がりの患者さんにIV-Sを施術していた。
「医者の医療体験は必要不可欠」と考え、機会があればさまざまな治療を体験している私にまたもやチャンスがめぐってきたのである。(とほほ…)

予約当日、早めに受付をすませて口腔外科を受診した。型通りとはいえ、「親知らず抜歯のリスク」「IV-Sのリスク」の説明書を受け取り、同意書にサインをした。手術や入院の経験のない人は同意書の内容にはビックリするだろう。生涯無病という人は稀であろうから、親知らずやインプラント程度で同意書を体験しておくのも良いかもしれない。

治療が始まる。斉藤先生の親切な応待の後、大学ラグビー部の先輩、部長の佐野先生に点滴を入れていただいた。「30秒もするといい気分になるよ。」の声を聞いたが30秒は持たなかった。次に気づいたのは、(おそらく)衛生士さんの「車イスに乗り移れますか?」の声だった。治療中の記憶はまったくない。唯一の欠点は、大酒を飲んだときと同様に、周囲にまったく注意が向かないことだ。いわれるままに行動するだけでお礼の言葉をかけることも忘れてしまった。

術後の症状は予想通り。翌朝はそれ程ではなかったが、診療中にだんだん腫れがひどくなっていく。痛みは薬でコントロールでき、3日目頃に腫れはピークに。
その後腫れは徐々に引き、1週間程で抜糸すればヤレヤレのハズであった。しかし、である。5日目の夜、痛みで目がさめた。久々の体験、恐怖の「ドライソケット」である。20年程前、口腔外科の同級生に┏8を抜いてもらったときは、1ヶ月以上薬が手離せなかった。
悪夢の再現となるのだろうか?

インターネットで「ドライソケット」を検索した。
「何かいい手はないだろうか?スーパードクターはいないだろうか?」当然ながら特別な手段もなく、「ドライソケットは1%程度の確率」との記述を見た。当時当院で親知らずを抜いた患者さんのうち、2人の方も同様な症状が出ていた。
1/100×1/100×1/100という「once in a blue moon」な確率。今から思えば宝くじを買っておけば良かった。私達3人の共通頃は「体格」。骨が丈夫すぎたのだろう。
1日3回の内服では痛みが止められない。2錠づつか6時間間隔で内服するかで迷い、後者を選んだ。

いつものことだが、一度深く沈んだ後に、すぐ開き直る私。「20年前と同じなら7月の旅行には間に合うさ。」覚悟を決めると病気は去っていく。2週間程で痛み止めの服用もやめ、あとは傷口がなくなるのを待つ日々である。

恐がりの皆さん。IV-Sはお勧めですよ。
当院から荏原病院の口腔外科を紹介します。
(※文章中の専門用語はヤフーやグーグルで調べて読んで下さい。)

平成20年3月20日 歯医者の選び方

昨年、聖路加看護大学の市民セミナーで講演した。その際、良い歯医者の選び方についても話すように依頼された。

ポイントは3点
(1)自分の方針を決める。-マクドナルドor吉兆-
(2)価値観が同様な人のすすめる歯医者に行ってみる。
(3)その歯医者と気が合うだろうか。

(1)について
東京都心部には多くの歯科医院があり、好きに選ぶことが可能だ。軽自動車でもドイツ車でも、ドライブはできる。そう考えれば、予算から選ぶのも悪くない。

(2)について
「家の近くで休日や夜間でもやっている所」と考える人と、「飛行機に乗ってでも名医を」と考える人では、「いい先生」の基準は異なる。人生において、何を優先するかは人によって違う。何を大切にするかが一致する友人がいたら、医療についてもアドバイスを求めてみよう。

(3)について
歯科医は外科医の範囲に入る。外科医は、職人気質の個性的な人が多い。全身麻酔下での手術ならそれほど気にしなくてもよいだろうが、歯科は意識がしっかりある状況で、口の中でドリルやメスをふるわれるのである。よくよく相性を確かめた方が良いと思う。

私自身の体験談
歯学部の学生時代、授業が進むほどに不安になっていく。真面目な(?)学生の多くもそうだったろう。「おまえ達、そうとうヤバイよ。」教授がそう話しているように聞こえる。

…昨日はA君が歯列矯正を始め、今日はB君がインプラントの手術を受けるらしい。…

「どの教官に治療をお願いしようか。やさしそうで腕が確かで…。」考えた末にK先生の研究室のドアをノックした。

「カルテを作ってレントゲンを撮ってきなさい。」レントゲンを見て「君、試験は合格だろうね。診断はあたっているよ。」さらに続けて「このタイプの金合金を買ってきなさい。歯医者に銀歯はありえないからね。」

それ以降、K先生の昼休みや実習などの合い間に治療してもらい、およそ3年半で治療は終了した。
やさしそうな外見に似合わず、K先生は治療中も厳しく指導してくれました。チャンスをとらえては『こうやると痛い』という方法を実体験させてくれたのです。「痛い?涙出てるね。こういう治療をしちゃダメだよ。」

あれから20年以上になる。その間、新しい数本の虫歯の治療はさとう歯科の先生に受けたが、K先生のやり直しは一本もない。治療費は当時大金に思えたが、それまでの毎年やり直す治療とは大違いだった。

…K先生ありがとうございます。先生のように技術の確かな歯科医を目指していきます。…

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